2006年1月号   目次
  会報紙  1ページ目−−元気が一番、今年も皆々様のご健康を心より祈念いたします。・・・
 会報紙2〜3ページ目−−連帯こそが勝利への道  ― やまとぅんちゅーとうちなーん・・・
 会報紙  4ページ目−−芸術体験まっしぐら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 会報紙  5ページ目−−第10回総会 報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 会報紙  5ページ目−−新年会&八戸の皆さんと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 会報紙  8ページ目−−沖縄デー復活  スナック ダカーポ・・・・・・・・・・・・・・・
 会報紙  8ページ目−−渋さ知らズ オーケストラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 会報紙  8ページ目−−編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
今月、6〜7ページは全面広告              



謹賀新年

元気が一番、
今年も皆々様のご健康を心より祈念いたします。

さて、昨年の名護市辺野古の闘いはおじぃ・おばぁの実に驚異的な450日の座り込みと日本全国草の根の熱い応援支援があって 米海兵隊の海上基地反対闘争は勝利しました。


しかし10月、日米両政府は辺野古のすぐとなり米軍キャンプ・シュワブ沿岸域の新基地建設を合意しました。 この米軍普天間飛行場の移転先とされた名護市で市長選があります。1月15日告示、22日投開票です。 今のところ現職の岸本建男市長の後継とされる自民党県連推薦の島袋吉和氏のほか我喜屋宗弘氏、 大城敬人氏の3市議が立候補を予定しています。3氏ともキャンプ・シュワブ沿岸に移設する案に反対する立場をとっていますが、 1月15日の告示までは流動的だとの新聞報道です。

わが会としては「(米軍)基地のない平和な沖縄をめざす会」の会名に明記してあるように、名護市へのあらゆる新基地は 許さないと高らかに決意表明いたします。粉砕すべきは米国の一国覇権主義です。今年も一歩一歩確実に連帯の輪を広げていきましょう!

                                 理事長 手塚 陽 ('06/1/11)

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連帯こそが勝利への道  ― やまとぅんちゅーとうちなーんちゅーとの ―

「やまとぅに43年住むうちなーんちゅー」・・・去年からこのフレーズをよく使うようになった。憲法第九条が改悪されようとする中で、沖縄出身として の僕が果たす役割があるかもしれないと意識するようになったのである。ゼロ歳で体験させられた沖縄戦を機会ある毎に語るようにしている。そんな中でパネ ルディスカッションがあった。12月10日に、「戦後ゼロ年―60年を正す。沖縄戦から今日、明日を語り合う集い」と題して文京区民センターで。命どぅ 宝ネットワークの太田武二さんが司会。パネラーはひめゆりの証言者吉村秀子さん、沖縄の芥川賞作家の目取真俊氏と小生の3人。

まず、3人の沖縄戦体験、あるいは沖縄戦との関わりを語った。多感な学生時代にひめゆり学徒として軍と行動を共にさせられた吉村さんの証言は淡々とした 語りの中にも重い内容で、参加者を引き付ける力は充分だった。横浜在住で、関東地方の学校を中心に講演活動で沖縄戦の実相を語りつづけていらっしゃる が、今後ともお元気で平和を発信し続けて欲しいものだ。  ゼロ歳の僕の沖縄戦体験は、母に聴いたのを消化吸収して、高校社会科の授業で生徒に語ってきたのをベースにしている。沖縄住民が頼りにしていた日本軍 は沖縄各地で住民を壕から追い出したり、食料強奪などの危害を加えたりしている。僕ら一家も例外ではなかった。死ぬような目に幾度となくあって、やっと いくさは終わったものの、父も兄も祖父母も戦死、失ったものは家財産も含めて計り知れない。沖縄戦では方言を使えばスパイとみなして処刑という、軍隊に よる激しい沖縄差別・住民への加害があったことは周知の事実だ。 「軍隊と住民との共存はありえない。そのことを沖縄戦は如実に証明した。」というドキュメント沖縄戦のナレーションから、僕は引用して語ったが、このこ とを沖縄戦から学ぶ教訓の第1にしたいものだ。日本本土が戦場となっていたら、沖縄同様に、軍隊は住民に対して危害を加えたであろう。歴史に学ぶこと は、戦争、とりわけ侵略戦争において、軍隊が住民を守った例はないということだろう。

東西冷戦時代に強行された米軍基地建設。まさに沖縄の人々の人権を、銃剣とブルドーザーで蹂躙し続けた米軍だった。復帰後も減らない基地の重圧。1%に も満たない県土面積の沖縄に75%の米軍基地が集中しているという厳しい現実に、どう立ち向かったらいいのか。

安保条約が必要というのなら、沖縄だけに負担を強いることなく、本土の各県が等しく負担すべきだという声も沖縄には強い。一理あるが、問題は根本の安 保条約が日本にとって安全で必要なものかということをまずしっかり考えるべきだろう。安保条約の本質は地位協定にはっきり出ている。そこには米軍のさま ざまな特権が保障されている。

日本全土どこでも基地に出来ることや、いわゆるライフラインを米軍が日本国民よりも優先的に使える特権などなどが記されて いる。地位協定を見る限り、わが国はこれで自らの肉親が犠牲になった、沖縄戦の悲惨さを訴えるも独立国なのかと首を傾けざるを得ない。それもそのはず、占領下の米軍特権が旧安保で行政協定にそっくり記さ れ、それが新安保で地位協定にそのまま引き継がれたのだから。限りなく対米従属的な日米安保条約を容認するならば、等しく負担しようだろう。

しかし、そ の本質を見極めたならば、直ちに安保をなくそうということになる。大田革新県政時代に掲げた2015年までに、すべての米軍基地を撤去させて、平和な沖 縄をめざすというのは、正しい要求だし、わが「沖縄の会」の主張もその点にあろう。その正当な要求は、沖縄のみならず日本全国共通の課題だ。僕の住む神 奈川も「基地県」だ。

パネルディスカッションの2次会で、目取真さんは「沖縄に基地の重圧を押し付けているようなヤマトゥは滅びても構わない」という内容の発言をしたが、 それを聞いて我が耳を疑った。唖然とした。僕の多くの友人が、教え子たちが、子や孫が生きるこの日本を絶対に滅びさせてはいけない。わが「沖縄の会」に 於いても、沖縄問題を我が事として熱心に取り組んでいるやまとぅんちゅーが少なくない。いや、組織を問わず全国に多い。そのような良心的な力が、沖縄返 還運動も闘って勝利させたのだ。

ささやかな『うちなー讃歌』を去年出版して、全国でその反応の良さに驚いている。 平和が危なくなりつつある今、討論会は充実した内容で有意義なものだった。2次会では本音も出て激しく討論する場もあり、その真剣さがひしひしと伝わってくるものだった。沖縄問題も含めて何とかしなければと考え、取り組んでいる良心的な国民が計り知れないほど存在するということが手に取るよ うにわかる。そのような広範な国民と連帯して、基地をなくすことに取り組もう。当面は辺野古に、大浦湾に新たな基地を作らせない、ジュゴンを守ろう、憲 法第九条を改悪させない、消費税をなくそうという幾つかの要求を、僕は連動させてやって行きたい。これらは決して無理難題ではなく、人間が人間として、 人間らしく、暮らしやすい日本を作ろう、正直者が馬鹿をみない日本にしようという極めて常識的な要求である。沖縄の文化も紹介しながら、今年も楽しく取 り組んで行きたいものだ。12月23日に大浦湾の海上パレードに船に乗って参加して、ふるさとの美ら海(ちゅらうみ)を実感した。今度は友人たちを案内 したい。

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芸術体験まっしぐら

   沖縄発信・連載42

  =「秒読み段階で、見る夢」=
   新城 亘
 

博士論文僕が沖縄県立芸術大学に入学したのは41歳の時で、57歳になる現在まで大学に居つづけている。在籍期間を通算すると、学部に4年、修士課程に2年、博士課程に5年、研究生に2年、休学した3年間も含めると計16年になる。

僕が入学したときに小学二年生だった一番下の息子は、現在24歳になり幼稚園の先生をしている。真ん中の娘はブティックの仕事をし、一番上の娘は設計の仕事をしながら結婚式を迎える年頃となった。子供達は学校を卒業して一人前の仕事をしているというのに、僕はまだ学校にしがみついてうろうろとしている。

このような僕でも、昨年の暮れに長年の夢であった博士論文をようやく提出した。といって即、博士号を取得できたわけではない。次には口頭試問がある。 提出した論文に対して口述試験で答えられないと元も子もないのだ。最後の関門は専任教授会の査定、その後に最終決定となる。僕は現在、この判決をじっと待っているのである。イヤーな長い時間を過ごしている。

論文を作成していた時期はよく夢を見た。頭がさえてパソコンに次々と文字が打ち込めるときはいいが、論述の糸口が見つからず右往左往しているときなどの、不安や焦りがあるときは決まって見た。僕のそのような夢には2種類ある。

1つは新聞配達の夢だ。小学生のときに新聞配達をしていた僕は、大雨や台風がくると新聞が濡れたり、風や雨に足を取られて遅れ、登校する学友に出会うことがあった。学友に会う気恥ずかしさと、時間通りに配れない焦りの夢を見るのである。もう1つの夢は、電話交換機の保守をしていたかっての勤務先でのことである。交換機が故障して、交換機室の赤や青、黄、緑のランプが一斉に点滅して警報が鳴り響き、場合によっては煙が噴き出たりする。何万という電話機能が停止して社会問題にもなりかねないから、この対処に慌てるという夢だ。

この二つの夢は、仕事の責任感を問うている原点のようなものである。

僕の博士取得の合否判定は3月2日に下される。この二つの夢だけは、しばらく離れていたいと思っている。

  

沖縄の会第10回総会が12月25日、千代田区飯田橋で行われました。

総会は、大久保事務局次長を議長に選出し議事を進め、手塚理事長の挨拶に続き座波事務局長の活動報告、上原会計担当の会計報告を受けて討論。一年間の活 動を振り返って、特に、沖縄戦後60年の節目の年に、戦争体験、反戦平和の決意を込めた会員の声の特集や会独自の主体的取り組み、沖縄平和ツアーの企画 など、位置づけとは裏腹に、不十分な結果に終わり、反省も出され、今年に引き継ぐ決意も示された。

また、会計報告では、会費納入率の低下問題が指摘され、会員の皆さんの理解と協力が訴えられた。慢性的募金、事業活動に大きく依存している現状を打開し、財政の健全化を!強く呼びかけた。そして、会費の改定が提案され、活発な議論の末に年会費3000円を決定した。 更に総会は、予算案を審議、採 択。人事案件では、基本的に全役員を再任。副理事長は当面置かず、佐藤肇、中原省二理事が退任し新たに染谷正圀、外間喜明両氏を選出した。

(活動方針)

1、 沖縄の会創立10周年記念行事
2、 花見の会
3、 がじまる祭
4、 沖縄の会・友好団体交流会
5、 沖縄平和ツアー
6、 沖縄現地との連携・交流の強化
7、 署名行動  【辺野古】・日米合意案反対


来賓も多く活動方針、沖縄の現状など話し合われた。

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    新年会&八戸の皆さんと

新年早々の3日の夜、赤坂の憩いのスナック『ダ・カーポ』で新年の集まりがあり、お正月休みの中にもかかわらず、14名の元気な顔でにぎわった。新年のお祝いと言うことで 門倉洋子ママから 金粉入りのお酒を振舞われ、和やかに会は始まった。   

当会員で、『沖縄デー』のママ役の橋本秋子さん手作りの美味しい沖縄調理に舌鼓を打ちながら、談笑し、年末で帰省されていた沖縄民族芸能の研究者で、当会報の執筆者の新城亘氏の素晴しい三線の生演奏に酔いしれ、自然にカチャーシィ状態 初めて参加の若い方も加わっておおいに盛り上がった新年会であった。

ご都合で橋本さんはしばらくお休みする事になったが、その間、門倉さんが引き継いで下さり、これまで同様に、毎月第一火曜日『ダ・カーポ』で沖縄問題をいろんな方面から皆で考える時間にしましょう!と おっしゃっているので 皆さんどうぞ今後ともお楽しみください。

3日後の1月6日夜に、赤坂にまた沖縄旋風が吹いた。我々の仲間の八戸の皆さんが恒例の沖縄ツアーに行く前に東京に立ち寄られ、急遽交流の場を赤坂の『桂』で持ったのである。八戸の皆さんはその日、靖国神社を見学されたようで、その感想なども熱く語っておられ、沖縄問題だけでなく本当に平和の為に一生懸命に活動されている方々だなぁと思った。翌日は4時起床で沖縄に飛び立たれたらしい!2つの交流会に参加し熱いエネルギーを頂き、連帯、継続の大切さを改めて感じた。                                  (柳澤)

今年から年会費は¥3.000になりました。(^_^;)

総会の記事でもお伝えしたとうり、困窮している会を維持するために必要という議論になり、今年から年会費が¥3.000になりました。

会員の皆様方には大変申し訳ありませんが、今後ともご支援、ご協力のほど宜しくお願いいたします。(事務局)

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沖縄デー復活スナック ダカーポ

 セット:沖縄料理3品  ( 泡盛1杯orオリオンビール1缶¥2,800 )
 毎月第一火曜日は沖縄デー 次回2月6日 PM7:00より

 先月号で沖縄デー終了のお知らせをいたしましたが、多数のご要望があり橋本女史から
 ダカーポのママ角倉女史へ引き継がれ、継続する事になりました。引き続き又いらして下さい、
 宜しくお願い致します。
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渋さ知らズ オーケストラ

渋さ知らズ オーケストラ
総勢50名のジャズバンド
凄まじぃ大音響・考えられないパフォーマンス
ちょっとセクシィな ! ! ライブ
3月26日 日曜日,午後 上野水上音楽堂
沖縄の会   どうたつち
Jazz  &  Beer

  
ビール、物産コーナー設置。   地底レコード http://www.chitei-Records.jp

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編 集 後 記

編集後記 1月22日最近、会報にレギュラーで詩を投稿していただいている外間喜明氏の「うちなー讃歌・新年交流会」へ行って来た。会場は新宿の「うたごえ喫茶・ともしび」少し遅れて入った我々はびっしりな会場と熱気に驚いた、70名くらいの参加者とか。顔見知りの方もちらほらと見えたり沖縄舞踊あり歌ありと、おごそかにゆったりと暖かく流れる時間の中に氏の普段からのお付き合いとお人柄が伺えた。 「うちなー讃歌」は沖縄の綺麗な写真と詩とエッセイで構成され、ふるさとに対する畏敬の念と愛情、沖縄の人しか経験しないようなちょっと裏悲しい詩もあり、心を動かされる。「沖縄戦終わって六十年目に―」氏が今まで蓄えてきたものを自費出版したものである。ご興味のある方は広告の欄でも紹介しています。          (戸枝)
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