会員のコーナー

我がふるさと座間 

私のふるさとは神奈川県座間市にある。 注意、軍用犬による巡回区域と書いてある昨今新聞紙上を賑わしている米軍座間キャンプは、私の実家から自転車で2,30分ほどの距離にある。高校は隣の相模原市内にある県立高校に進んだが、ここも目と鼻の先に米軍のヘリコプター離発着所があった。 米軍に関しての情報は、真実が真実として伝わることはほとんどなく、「座間公園の土手には、米兵にレイプされて殺された女たちの死体がゴロゴロしてる」「不良中学生がふざけてフェンスに昇ったところ、軍用犬にかみ殺された」 「交通事故にあって警察に訴えても、相手が米軍と分かると『泣き寝入りして下さい』と言われるだけ」といった噂が流れてくるのみだった。私も、通りすがりの軍用車やスクールバスの窓から、卑猥な英語を投げられてからかわれたこともあるし、バイト帰りの夜道、うしろからひたひたと米兵につけられて怖い思いをしたこともある。だが、何と言っても一番腹立たしかったのは、プロ野球の夜間練習かと思われるような広大なグランドに、こうこうとナイターの明かりをともし、その下でたった二人の親子がキャッチボールしているとか、真冬に半袖でちらっと外に出てくる姿とか、いわゆる「思いやり予算」のお陰で成り立つ、私ら市民から言わせると「贅沢」としか思えない生活ぶりをかいま見る時だった。机上の予算は、数字でしかない。どう使われているかを見たときに初めて、実感がわく。その贅沢を支えているのが自分のはらった税金で、それなのに私たちは、電気代節約のためにコードを電源から抜くような生活を送っているのだ。どうして基地は市民に返還されないのかと素朴に思う。市長がキャンプ内で、自由にゴルフしているからだという、これもまた噂に過ぎないが。 相模原市で掲載した横断幕  昨年末、久々に実家に帰り、母の運転する車でキャンプ横を通った。フェンスの向こうでは、古い家が取り壊され、建築工事があちこちで行われている。「沖縄の海兵隊が座間に来るらしいね」と母に声をかけると「反対運動なんか、結構やってはいるけれど、水面下では来ることに決まっているようだね。工事やってるでしょ。これ、海兵隊を迎え入れるための準備みたいだよ」という。何ということだろう。民意はいつも踏みにじられて行く。だがこれが現実というものだ、といって黙ってしまっては、私たちは自分たちの子どもに向ける顔がなくなってしまう。例えすでに決定していようと、やっぱり「沖縄だろうと座間だろうと、いらないものはいらない」と声高くして反対し続けるしかないと思う。  次に帰郷する際には、反対の署名なり運動なり、何か具体的に行動したいと考えています。                            渋沢 祥代

「戦争の残酷さ」

ガマと平和祈念資料館が、とても印象に残っている。戦争の残酷さが伝わってきて怖かった。「ガマの中で真っ暗にしたとき、目が開いているのか閉じているのか、寝ているか起きているか、生きているか死んでいるか、分かんなくなってしまいそうだった」「普段、学校などで飛び交う「死ね」などの言葉は、軽々しく使えない言葉だと思った」戦争をやるのは人間だけど、やめるのも人間だし、戦争は何も生産しないし、人の命を奪っていくだけだから、もう戦争をしないでほしい。戦争はお互いに理性を失うから、こんなことをするくだらなさに気づいてやめた方がいい。「負けるが勝ち」って、こんな感じかなと思った。

ボーリング調査中の辺野古の海
この二泊三日で、私は色々なことを思い、学びました。1日目のガマ見学。あの真っ暗闇の中、私はその中で死んでいった人がいると思うと、とても悲しく、怖かったです。「人の命を奪う権利は人には無く、あってはいけないと思いました」平和祈念資料館に、「戦争の中で死んでいった幼い男の子の写真がありました。私は、人は幸せになる権利があると思います。
私が幼い頃なんて友達と遊びまくっていて、殺されるかもしれない恐怖に怯えることなんてありませんでした。幸せになる前に死んでいった男の子のことを考えると、戦争ほど無意味で恐ろしいものは無いと思いました」

2日目の中で、一番印象に残っているのは「ピースステージ」です。その中で私が一番感動したのは、与勝高校のアリサさんの弁論です。「一人ひとりは無力に近くても、みんなが集まれば平和を創造するエネルギーになる」というセリフがありました。ボランティアがごみ捨てとかなどでも、自分一人がやってもやらなくても大して変わらないと言う人がいます。でも、みんながそんなことを言っていたら何も始まらない。そういうことと同じなのかなぁ…と思いました。私なんかの少しの力でも、みんなの力が集まれば大きな力になるんだと思います。

3日目の辺野古見学。私は事前学習ゼミをやるまで辺野古のことを何も知りませんでした。基地のことも、沖縄にたくさんある、そんなことしか知りませんでした。でも、ゼミやガマ見学、「ピースステージ」、東恩納さんのお話を聞いて、少しずつ辺野古のことが分かってきました。   正直、今でも詳しいことはよく分かっていないけど、1日目、2日目に見て遊んだ、この沖縄のキレイな海に、基地なんか建ててほしくない…と強く思いました。私達が座り込みをしたのは1時間にも満たないほどでしたが、これからもこの「海を守り続けてほしい。守っていきたいと思いました」             米原 紫野(小6女子)

一人ひとりがネットワーク

「基地のない平和な沖縄をめざす会」と初めて出会ったのは、有名な沖縄そばの店「島」の2階でった。 そこは店主の趣味のJAZZを聴かせるお店なのだが、私は同じお店だとは知らず、好きなJAZZを 聴きに行っていたのであった♪いつも静かなお店なのだが・・4人の客が入ってきたら突然空気が変わった !男性3人と女性1人のグループはやたらと明るくてびっくり。お店の雰囲気(JAZZ)とはあまり 合わないように思うだが・・とても場慣れして一らしい??と思いながらも席は隣同士だし、飲み物の 注文がきっかけで話すようになったら、沖縄の関係の方たちとわかった。

いつもは1階で会議をされていたそうなのだがその日は階下が満員で2階に移動したしたとのことだった。 昔から沖縄には憧れていたが、いつかは観光で行ければいいなぁと思うくらいの熱だったのが”潜り”を やってみたいと思うようになってからは、沖縄の自然にも関心を持つようになり、ゴーヤをはじめとする 物産にも興味を持ち沖縄ショップもしばしば覗く様になっていた頃だった。やっぱりご縁があったのだろうか?「基地のない平和な沖縄をめざす会」という名前がすごいので特別な人しか入れないと思ったら誰でも参加 できるというので、すぐその場で会員の申し込みをした♪こういうことを沖縄では”イチリバチョデー”と言い(皆友達、仲間の意味らしい)当たり前なっだそうだ。それからはあれよあれよという間に毎週水曜日には、 事務局の会合に参加したり、お手伝いをするようになった。会員の皆さんはもちろん関係する方々とも知り合いになって会員の方々の個性やその層の厚さににも驚いている。

これはとても貴重なことであろう・・・一人ひとりの力は弱いが力を合わせるととても強くなり、豊かになると思う。多くの会員は本当に長く携わっておられ活動も熱心である。平和を守る運動の火種を絶やさず、次々に起こる新たな問題などにも関心を持って、今だけでなく、次の世代にバトンタッチをして行こうと考えておられるように思う。
未熟ですが私も是非多くの人と一緒に活動していきたいと思っていますので、今後もどうぞよろしくお願いします。ネットワークが広がり一日も早く基地のない平和な沖縄が来ますように。
                                                     柳澤 啓子

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